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逃げ切れない思いを惑わすため、人におぼれた。 その人から逃げ出すため、また別のところにおぼれた。 でもそこはおぼれきれないところで、またおぼれる先を探した。 また見つけた、おぼれられそうなところ。 こうして人におぼれなることで生きていることへの不安を惑わし、 自分を騙しながら、生きていくんだろうか。 久々に部屋を全部雑巾がけして、水周りもしっかり洗って、 書類を整理して、壊れかけた棚を直し、家の更新書類を書いて、 冬物と夏物を入れ替えた。秋がやってくるんだ。 時間は着実に過ぎていた。振り回され、苦しみ続けた間に。 そういえば僕は、気付かない間にまたひとつ歳を重ねている。 時計の針が、動き始めた気がする。 残念ながら、どうやらまだ生きてるらしい。 たくさんの人が生きているこの世の中で、 僕も小さい命を持ち続けている、 消える日まで何をしたらいいのだろう。 満足すること? 僕は何をしていたら満足するんだろう。 僕が欲しいものは、いったい何なんだろう。 記すことで生きてきた。 その言葉があっという間に消え去ってしまっても。 軽々しい時代の使い捨てお飾りにもならないような、陳腐で安っぽい言葉であっても。 僕は記してきた。 1日くらいは、どこかの誰かが僕の言葉に救われることを夢見て。 僕は何が欲しいんだろう。 僕の火はいったい、何を燃やしたがっているんだろう。 #
by watchdogs
| 2007-10-28 18:04
| 取材メモ
僕は後悔しているんだろうか・・。 前週に手紙が届き、金曜日の夜、彼女に会った。 久しぶりに出会った彼女の、うっすらとした化粧が新鮮だった。 レストランの暗い照明に、彼女の白い肌は少し大人びた色に変わっていた。 でも、口元に薄く引いた赤色は楚々としていて、彼女の大きな瞳から現れる 素直さやまっすぐさを決して失うことはなかった。 「化粧ちゃんとしてんの、久々じゃない?」 彼女は少し茶化すように小さく首を何度か左右振り、こう答えた。 「そんなことないよ」 たったひと言で、また僕は少し彼女との距離を作ってしまった。 お互いの目線に耐え切れず、僕らは主に、ありがちなイタリアンレストランの ありがちな木のテーブルを眺めながら話した。 でもどんなテーブルで、どんな料理を食べたのか、ほとんど記憶がない。 目の前にある何かを、必要だと思われるように処理していただけにすぎなかった。 しばらくの沈黙の後、彼女が近況を話し始める。 彼女が仕掛けたこの前のイベントは大成功だったらしい。 ひと通りその話を聞いたの後、話題はいつものように、人間論に移った。 私はそこから何を学んだか、何を感じたかを報告し、それを聞いた感想を話す。 そこまでは、いつも通りだった。 言葉の数が、いつもの半分くらいだったことを除けば。 「それで…」 ようやく一歩を踏み出すためのひと言にたどり着いたのに、その後が続かない。 彼女はじっと、ただ次の言葉を待っている。 まるでただそこにある、石のように。 「どうして手紙だったんだよ? どうして直接何も言わない?」 「確認したいことって、それ?」 僕は「もう会う必要がない」と言う彼女を無理やり 「確認したいことがある」と誘い出したのだった。 もう一度、顔を見たかったから。 「先に聞いたんだから答えてくれ」 「確認したいことは、それなの?」 本題からほど遠い世界なのに前に進めない。 お互いに言葉が届かないもどかしさを抱えながら、きょう初めて、真正面から目を眺めた。 彼女の目は、意外なほど何も語っていなかった。 僕を見てはいるけど、僕という塊を眺めているだけ、そんな感じだった。 いや、もしかしたら、僕がそう思いたかっただけなのかもしれない。 大きな瞳の奥には、泣き腫らしたもうひとつの目があったのかもしれない。 「私、もう会う必要はないと思ってたんだけど」 彼女は再び、目をテーブルにやりながら話始めた。 「そうやって責められるのが、もうイヤなの」 「誕生日の手紙、自分のことしか書いてないじゃない。 こないだ話したときも、理解されてるって思えなかった。 理解し得ないんだから、しょうがないでしょ。もう無理なのよ」 ひと息おいて、続けた。 「だからまだCD聞けないし」 僕は今年の彼女の誕生日、1枚のCDと手紙をプレゼントした。 クリフォード・ブラウンの「ステディ・イン・ブラウン」。 彼のトランペットから伝わってくる天才的な冷たさは、 モーツァルトの天使の声から感じる、崇高だけど近寄りがたい雰囲気に似ていた。 そういう天才が世の中には存在している。だからこそ、僕ら凡人は努力しないといけない。 だからお互いに、頑張って生きていこう。 それが彼女が30歳を迎えた誕生日に、僕が伝えたかったことだった。 それはいつもの会話と同じように、人として成長していくための、愛だと思っていた。 話は彼女が前週にくれた手紙に再び戻った。 彼女からもらった2枚半の手紙には、自分に自信がないから僕に従属していたこと、 もうそれが必要なくなったことが、喜怒哀楽にまみれて書き綴られていた。 記入済みの離婚届とともに。 「あの手紙を読んで、正直言ってうれしかった。 ようやく、他人への従属をやめられると思えたんだってわかった」 僕は、僕との決別という決断をも含めて、自分のこれまでの人生に 決着をつけようとした彼女を褒めてあげたかった。 でもそんな思いは彼女にとって、ただの押し付けでしかなかった。 「そんなこと言われる筋合いないんだけど」 目の中に涙が一気にあふれ、視界がゆがんだ。 靴を履きなおすふりをしても収まらず、目の前にあったコーヒーを口に流し込んだ。 砂糖が入ってるはずなのに、苦かった。さらに水をひと口含んだ。 話そうとする自分の言葉が、シャンパンのコルクのように思えた。 コルクという言葉を抜いてしまったら、勢いよく何かがあふれ出てしまいそうだった。 ゆっくりと、最後の言葉を捜しながら、大切なシャンパンを開けるようにゆっくりと話した。 目を上げると、いつもは白い彼女の首元が、少し赤く染まっていた。 でも彼女の目は変わらず、僕を不思議そうに眺めているだけだった。 僕は小さく折りたたんだ紙をテーブルに軽く放り「ありがとう」といった。 彼女も小さな声で「ありがとう」と答え、離婚届をバックにしまい込んだ。 そのひと言が、きょう初めて、彼女の血が通った言葉に思えた。 いままでと同じように暖かく、世界中の僕だけに投げられた最後の言葉だった。 「子供を作るなら、お前がよかった。だから、残念」 僕は最後に顔を見ることもできず、上着と伝票を手にとり「じゃあな」とだけ言った。 レジまで彼女は追いかけてきて、3000円を差し出した。 顔が見たかった。でも見たら、きっと立っていられない。 「いい」 そのまま店を出た。 彼女が何か言った。よく聞こえなかった。ポケットに手を突っ込んで少し歩き、 エスカレーターに乗ろうと歩いてきた方向を振り返ると、彼女はもういなかった。 僕らはこうして、7年間の夫婦生活を終えた。 #
by watchdogs
| 2006-07-25 00:12
サントリーホールに生まれて初めて行って、大植英次指揮・大阪フィルハーモニー交響楽団のブルックナー7番を聞いてきました。 やっぱ、ナマはええなぁ…。。 バイオリンの音が柔らかい。シルクの布みたい。柔らかくてなめらかな音に少しずつ、金色でぴかぴかの管楽器から出てくる咆こうが重なり始めると同時に、その重さを感じた弦がぐっと張るように力強さを増していく。 ffに向かって盛り上がる場面では、オーケストラの重層さがよくわかる。指揮者がひとつひとつの音を慎重に重ねながら、響きを紡いでいく感じ。大植氏はバイロイトを振ったことで有名だけど、うわさ通り熱い指揮を見せてくれた。燃えてる感じが客席まで伝わってきて、なんかうれしくなった。一生懸命な人を見てるのは気持ちいい。ちなみに、ヴィオラのお兄さんもffで左足が浮いちゃうくらい頑張ってた。 大フィルはそのものはちょっと管楽器が痛かったけど、ふと気付いてあわてて申し込んだだけだったので、大収穫。 「音楽とは経験である」。かのフルトヴェングラー大先生のお言葉である。今や珍しい言葉ではなくなってしまったけど、名言だ。もっともっと、経験したくなった。 #
by watchdogs
| 2006-02-15 23:23
| no music,still alive
書き忘れたネタがあったので、カテゴリを新設しつつ。 「麻布シチュウ」に行ってみました。メニューは「牛ホホ肉デミグラス煮込みのシチュウ」。以上!ご飯と福神漬けサラダ、デザートがついて、1280円。 よく煮込まれたシチューがお上品に甘くておいしい。肉も柔らかい。ご飯は横にながーい皿に乗ってくるけど、けっこうつややか。さすが米屋!これでこの値段はなかなかのもの。 でも、店内のカウンターに座ると、目の前にでっかい鏡が・・・ 仕方がないので、メシ食ってる自分を眺めつつ、後ろに座ってるおじさんの背中から人生を想像し、妙に黒っぽい店内は元々何屋だったんだろうって考えたら、再び自分がメシを食ってる姿を見直す。以下繰り返し。たまに店員さんを組み入れたり、首をひねって鏡の死角を覗き込むのも可。あ、サインとかある。 窓際に座ると駅から帰る人に「お、メシだな」って顔されるし、反対側のカウンターに座るとまん中によくわからん白い木が生えてる。 うまいんだけど・・・。 ちなみに右手でスプーンを持つと、先っぽがちゃんとこっち向いてる変形スプーンです。シチュー用もデザート用も。 うまいんだけど・・・。。なんか集中できねぇ!ということで、写真撮ってくるのまた忘れた。 #
by watchdogs
| 2006-02-10 00:12
| 安くてうまいもの取材班
ジャズを聴いてみたいと思って、村上春樹の「Portrait In Jazz」(新潮文庫)に載ってるCDを何枚か買ってみた。 まずはマイルス・デイビスの「Four & More」。村上氏は「彼は何も求めず、何も与えない。そこには求められるべき共感もなく、与えるべき癒しもない。そこにあるのは、純粋な意味でひとつの『行為』だけだ」と記している。 たしかにすっげえ早い。真剣に聞いて、息もつかせぬ突進力と、その中に気軽に転がってるものすごいテクニックを認識してしまうと、自分はただの傍観者であることを思いっきり認識させられる。ただ口を開けて「すげー」って見ているしかない。 でも、「ただそこにある行為」があまりにも楽しそうだったら? こっちもなんかウキウキしてきちゃうよなぁ。偽体験だと分かっていても、傍観者は主人公の客体として揺れる。サッカーとか見てるとそう思うんだけど。そんな感じ。 きょうはお疲れちゃん。 #
by watchdogs
| 2006-02-09 23:47
| no music,still alive
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